1. 「環境整備こそ、全ての活動の原点である」とは
この言葉から連想される現代?近代?のビジネス用語としては、「割れ窓理論」がある。が思い浮かぶであろう。ニューヨーク市長のジュリアーノ市長がこの理論を実行した。まずは落書きを消し、その後地下鉄内での軽犯罪を取り締まっていった。これにより、凶悪犯罪も減少したというのだ。成果は明白だった。人間の情報は「眼」から入ってくる。そしてこの「眼」は真っ先に映像をとらえる。非言語の映像が人間に与える印象のほうがはるかに強いのだ。
「たばこの投げ捨てはやめましょう」という言語の力は意外と弱い
2. 製造業における環境整備
日本の製造業の現場はとはいえ、整理整頓に関しては一定水準を維持しているといっていいと思う。こと日本においては、「眼に見える」範囲の環境整備はかなり高次元で実現しているのである。日本で整備しきれていないのは、マニュアルであありルールである。むしろ、マニュアルやルールも環境の一部であるという認識が乏しい。「情報」というものの取り扱いに関しての意識が低い。・整理・整頓・清掃・清潔・躾が5Sといわれている。これは皆さん工場の現場の話と思ってしまうことであろう。工場はではみんなできている。日本人は「ビジュアル的な整理整頓」に対しては敏感であり、高次元に対応する。
一方で日本人が特に苦手なのは会議・判断・指示命令に関しての環境整備である。これらは映像化が難しい。会議や、概念の「見える化」が苦手なのである。これを阻害しているのは日本人独特の「腹芸」とか「暗黙知」といわれるものである。分かったつもりがやがて大きな事故につながる。
3. 企業経営と組織運営
一倉先生の時代、社長を除けばほぼ全員が「現場社員」といわれる時代であった。ブルーカラーの方々が会社を支えた時代である。工場をはじめとした生産現場が階差の全体を支配していた。現場の5Sの整備は会社の品質そのものであった。
時代は2次産業から3次産業に移行した。生産工場からオフィスへと「現場」が移行した。今度は目には見えにくい情報の5Sが必要である。しかしこれは苦手なまま取り残されている。
ルールの無い会議が多すぎる。このことはあまり気にしない。常識的な判断の規律が出来上がっていれば時間のかからない判断も永い混沌の末先延ばしになったりする。人と意見を交換し、システマチックに組織を運営することが極端に苦手である。属人的な判断に対して歯止めをかける方法論を持たない。データに基づく段取りが組めない。一方で、役職者が責任者として判断しないといけない場面では、過剰にエビデンスを要求したりする。
情報の管理としては逆行している。情報を集めそれに基づいた判断をする必要がある。
上席者のするべき判断は問題が抽象化されていくのでエビデンスと結び付けにくい。上席者は俯瞰の眼でデータも一つの要素として取り込みその先にある先見を見抜かなければいけない。そしてそれが外れて時に責任を取るのである。そうやって、企業体としての先見性を身磨かなければならない。
4. 結語
日本の産業界が工事現場並みに3次産業のホワイトカラーの5Sを整備することはニューヨーク州で凶悪犯罪を減らすのと同じレベルの課題である。上席が正しい判断ができるようになるための「窓ガラス理論」は何であろうか。多分それは、情報を扱う現場でのその取扱い方に関する方法の取り決めであろう。日々の会議の不毛さが、割れた窓ガラスと同じような不都合を生み出しているように思われえる。まずは、会議に小さいのだけれども厳格なルールを設け徹底的にそれを守ることをしてみてはどうか。アマゾンの会議にはそれがある。資料はパワーポイント禁止。発現用の資料はワードのワープロ文字のみ。言語化できない情報を会議に持ち込んではいけないのだ。そしてその資料は全員が熟読していることが前提となっている。日本人にとってこそ必要な運営であると思われる。 了