『一倉定の経営心得』を読む その14 経営者の責任と意思決定

1. 「ワンマン決定は権力の表れではない。責任の現われである」とは

日本においてワンマン社長のイメージが悪すぎる。民主的が心地よいとされている。
社内には様々な部署部門が存在する。部門ごとに利害関係が存在す。また様々なキャリアの人が存在する。企業という組織は様々な意思を持つ。所詮民主的にことを済ませてもそれは多数決にものを言わせたゴリ押しであったりする。組織には決裁者が必要なのである。

2. 組織における責任逃れ

 アメリカ人のコンサルタントがぼやいていた。日本の会社決済のスキームが不明瞭だと。担当レベルに対案する。課長レベルが取りまとめる。部長レベルに決済を取る。取締役会に根回しをする。社長に直接提案する機会に恵まれた。社長は大いに喜んだ
喜んで
 「大変いい提案をありがとう。あとは担当役員と相談して決めてくれ」
TOPに上がったと思ったら人階層降ろされた。決断するのを避けている。 特に新規案件に関しては「前例がない」からという大変便利な理由をつけて割断しない。
 私が会社員時代、嫌いだった言葉がある。「お前の思うようにやればいい。そして、うまくいかなかったときには責任は俺が取ってやる。」よくこのような男気を見せる発言をする人がいた。どこまで本音かわからないが、どのようなつもりで言っているのであろうか。私がやって、失敗した時その事実を全部隠せるようなものではない。「私の監督不行き届きです」大っ嫌いな言葉だ。責任取っているようで実はとっていない。
 あなたには監督以外にも責任があるでしょう。お決まりの儀式のフレーズを吐いているだけだ。責任を取る人間は、方向性を示すべきだ。その方向性が間違いだと悟ったとき、「私の判断と指示です。」と責任取るべきである。現場にその意思決定を任せ、そのうえでどう責任を取るのだ。日本のビジネスシーンの中に何か、人情劇がたまに紛れ込む。責任者は、判断し方向を示し、その手柄と責任を取るべきである。

3. ビジネスの判断と責任

 ビジネスの判断と責任、査定は分かりやすいほうがいい。誰が考え、誰が方向性を示し、誰が実行したのか。「責任は俺が取る。」会社で責任をとれるのは社長だけである。一倉先生も、社長の責任に関しては、実に執拗に追求している。一切の言い訳を許さない。しかし、会社も、民主主義資本主義の機関であるので、形式としては、ガバナンス、合議制、相互干渉、社内牽制などを導入する。これらは知恵の産物である。しかし、場面によっては合議制など蹴散らかすことだって存在させないといけない。
そもそも全員が正しいと思うことなどないのである。必要なのは、合議ではない、決済なのである。そしてそのスピードと効率こそ社長に求められる。
 社長が右と行ったら右なのである。そして社長は絶対間違えないのである。なぜ絶対といえるか。それは、社長が間違ったときは、社長は自ら退任するからである。

4. 結語

 しかし、昨今の社長の交代で、自分の判断の間違えの責任で社を去った社長の話を聞いたことがない。どちらかというと、社員の不正の時、社長の首のすげ替えで幕引きをする。面白いものである。トカゲは尻尾を切るが、会社は頭を切るのである。本来出処進退は自らをもって決めるべきである。海外の社長はしくじるとサッサと自分から辞める。社員の不正では辞めない。 了

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