1. 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも社長の責任である」とは
コンサルタントの言葉かと疑う俗っぽい言葉である。しかし、シンプルで俗っぽいことが真理を突いたりする。
会社内で起きたことの責任追及には複雑さが付きまとう。部署部門、での責任の擦り付け合い、上下関係での擦り付け合いなど日常茶飯事である。さらに、外的環境にしたくなる場合もある。政治が悪い、経済が悪い、コロナ禍のせいだといいたくなることもある。しかしそれでも結果を出す必要がある。
部署部門の言い分も正しいかもしれない。外的環境がきつかったのかもしれない。それらもまとめて背負いこまないといけないのである。それが社長であると。
2. 直接的原因と結果の関係
実際には、かかわった人間には、振り返ってみれば「原因」は分かっているのである。しかし、その原因を原因として認めることが難しいのである。責任が付きまとうからである。その責任の回避が原因の究明を難しくする。
3. 原因の究明と再発防止策
実際の原因が不明確になる理由の一つに、原因と責任の混同がある。責任を追及されるのはきついのである。すべての「原因」は社長にはない。しかし、責任は社長にある。
4. 経営者の役割とその責任
社長は、なんとも損な役割であると、思われるぐらいでちょうどいい。責任の取り方はどうするべきか、まず、最初に言葉ありきである。責任は社長がとると発信することである。文章で、そして肉声で。「言葉を発するのに時間も手間もいらない。」即座に発信である。そして、自分の言葉での発信が必要である。自分の言葉であるということを証明できる根拠は、「読み上げない」そして、声に圧があることである。「圧」は自分の意志でコントロースする。つまり圧がこもるということは本人の意思がそこに込められているという証拠である。文章の読み上げではいけない。言葉が人を動かすのである。
4. 結語
偉人の言葉には、「シンプルさ」と「圧」があった。田中角栄が原稿を読み上げていた印象はない。問題をいつも起こしていたがハマコーも言葉に圧があった。インターネット時代の危惧するところである。インターネットの回線にこの社長の圧は載せることができるのであろうか。 了