『一倉定の経営心得』を読む その24 ヒト・モノ・カネと企業経営

1. 「優れた社長は常に『うちの社員はよくやってくれる』と人に語り、能力のない社長ほど、自社の社員の無能ぶりを他人にこぼす」とは

 社長あるあるである。社長という存在は会社にくぎ打ちされて会社から離れられない。つまり動けないのは社長で、動けるのは社員である。社員にとっての選択肢はここだけではない。この会社を、またこの社長を選んでくれた社員に対しの感謝を忘れてはならない。にもかかわらずなぜこの物言いは充満しているのであろう。
 まずは、原因をしっかり認識しておく必要がある。一つはプロ意識である。社長もプロであるのであれば、プロとして社員と接する必要がある。そしてプロとしての理解ができるはずである。社長はプロでなければならないといえよう。

2. 社長と社員の違い

 サッカーの中田選手がサッカーを卒業した後、作り酒屋を歴訪している。彼は酒のプロではない。しかし、一つを極めた者として他人の仕事が評価できる。社長がプロでない可能性は高い。特に日本の社長は、創業者や2代目、もしくは入社以来その会社一筋の人が多い。つまり、誰も実力で社長になってはいないのである。
 したがって、経営のプロである可能性が極めて低い。人間は同類に対しての評価が厳しい。例えば、大学の部活の上下関係などを考えてみれば分かりやすい。ほぼ同等の能力の社会。経験年数だけが差別化になる。会社でも同じことが起きる。社長も少しだけ立場の違う多いなる先輩でしかない。これではだめである。社長は社員とは異質でなければならない。一歩先行く先輩ではだめなのである。経営者として会社の資産である社員を見なければならない。

3. ヒト・モノ・カネ

 ヒト・モノ・カネが会社の資産である。そのどれもその都度のベストの状態に持っていかなければだめなのだ。瑕疵があればすぐに手を打つ必要がある。なぜ、そんなにダメな社員がいるのであればすぐに手を打たないのか。ここでややこしいことが起きる。
 実は、人間の情念のいびつさがここに現れるのだ。社長は社員の能力が足りないと思えるこうした状況を嫌いではない。むしろ好きなのだ。人間望んだものが状態になる。社長は今ぐらいダメな社員たちがそのままでいてくれることを望んでいるのである。
 そして、その社員たちのダメなところを見つけることによる優越感が欲しいものなのである。本当に優秀な社員ばかりになったら社長は息も付けなくなり、いてもたってもいられなくなるであろう。いびつな感情である。だから、社員の能力に本当に問題があったとしても、絶対的に抜本的な改革はしないのである。

4. 結語

 当社の社員はよくやってくれている、という社長も本当にどこまで社員のことを知っているか定かではない。しかし、はっきりしていることは、「うちの社員はよくやってくれている」と言い続けたいのである。そうした社長の願った状態に事態は進んでいく。後者が望ましいのである。 了

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