『一倉定の経営心得』を読む その26 箱ものから電脳資産への転換

1. 「ハンコとギンコーは大丈夫か」とは

 今回は会社にとって必要な資産とは何か、ということから考察する。
 90年代には「情報化」社会といわれた時代からすでにハードの価値はどんどん凋落した。先般のコロナ禍において高度情報化された仕事のあり方が定着した。つまり、社長室のみならず、「箱もの」はどんどん不要となってきている。それも事実である。

2. 「箱もの」は不要か

 社長室どころか、本社屋自体の不要説が巻き起こりはじめている。電通が社屋を売却した。電通の社屋は電通の威圧感の源泉であった。現在の汐留もたいそうな近代的ビルディングといえるが、印象値としてはかつての築地の電通本社の方が強かった。丹下健三氏が設計し1967年に竣工されたが、現在取り壊しを待つ状態にある。
 このビルが隆盛を極めた時代は、広告業務自体がまだまだ社会性も今一つであった時代であり、電話とFAXがあれば誰でもできる稼業といわれた時代であった。つまり、そうした時代の周囲との格差は、旧電通ビルの方が圧倒的に凄く、絶対に電通の成長に寄与したはずだ。社屋はそれ自体が広告塔になるときもあり得るということの証左といえよう。

3. 機関としての企業

 しかし、一倉先生の顧客は500社の中小企業と言われている。立派な社屋や社長室は決して広告塔にはなり得ない。会社はただの機関とであると思う。左から物金情報を入れ、何らかの手を加えて右に流す。その何らかの手を加える機関は、生産部門である。
 つまり、お金を生み出す資産である。これには必要十分なお金をかけるべきであろう。しかし、社長は社長室では生産活動は行わない。社長は外部に出て、情報を収集してこなければならない。その理屈から行くと、社長室は澱んだ場所である。立派である必要はないのと、澱ませてはいけないのである。

4. 結語

 会社が機関であるということは、とにかく効率的に左から右へと早くたくさん正確に行わなければならない。そのために必要のないもの、とりわけ「箱もの」はどんどん処分していく時代である。必要な見栄えは電脳空間にいくらでも建造できる。逆に、電脳空間の情報資産は時に情報を発信し、顧客との接点にもなり得る。持つべき資産が、箱ものから有意義な電脳資産に変っていく。 了

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